蓮沼執太 | Shuta Hasunuma

環ROY『ラッキー』

Date

2013.04.03

Remarks

produced

ラッパー・環ROY 4th ALBUM『ラッキー』から
「YES」、「そうそうきょく」、「仲間」の3曲をプロデュースしました。

http://www.tamakiroy.com/

リードトラックの「YES」は僕の楽曲「Hello Everything」からサンプリング。蓮沼フィルで生演奏アレンジもしようと思ってます。

・・・・・・・・・・

 1stアルバム「少年モンスター」から飛躍の2ndアルバム「BREAK BOY」を経て3rdアルバム「あっちとこっち」まで、環ROYの独特のたたずまいはわれらを魅了してきた。しかし、その「独特さ」は、ひとが思うよりも、ずっとずっと底が知れない性質のものではないだろうか。恐ろしく透明度の高い水をたたえる南国の海を白昼みつめていても、いつまでもいつまでも底が見えないような—-。
もしやギミックというものを生まれてこの方知らないのか、とまで思わせる無防備な率直さを、ライムとビーツの両面でみせつける。かと思うと、さまざまな分野のミュージシャンと実験的なセッションをも繰り返す、環ROY。しかし、彼のその側面は、大きくうねりはするが、しかし水面(みなも)の波にすぎないのでは。確かに彼は、いかにも華奢で、不良じみたところがない、「文化系」ラッパーの典型に見える。しかし、いつからかバックDJも置かずに一人オーディエンスと対峙するあの姿、単独ライヴでの孤高の姿に接した者は口々にこう言うのだ—-「鬼気迫る」「すさまじい」「力強い」、そして「意外だ」と。何かに憑かれたようにマイクを握りライムを吐き出すその烈しさは、他に類例をみない。ライヴ後の、一転したいつものあの笑顔にふれて戸惑い、そこで、もう一度環ROY自身のアルバムに立ち返ることにする。すると、その率直な純朴さと見えたものの底が割れ、奇妙な太々しさと強(したた)かさが湧いてきこえてくる。と同時に、その都会生活の等身大を叙情にくるんで木訥に差し出したかのようなそのライムも、克明な思慮深さと反抗の魂に貫かれていることに気づかされるのだ。無論、環ROYは、その音楽・思考・反抗の「強さ」をあられもなくふりかざし、売り物にすることを拒む人だ—-その奇妙な含羞とつつましさが、このアーティストの底の知れ無さを、池でも湖でもなく、海のものにしている。
 小学生のような幼いはしゃぎと、あけすけない言葉を発しつづけて周囲を呆れさせた次の瞬間、突然つめたい目をして、するどい知性と批評性を垣間見せる科白を誰にむけてでもなく口にする、実際の環ROYの姿と、その音楽はぴたりと一致している。しかし、彼は「自然体」などという常套句もあの独特の照れた笑顔で厭がるだろう—-「やめてくださいよ、俺そういうの、ヤなんですよ」—-環ROYは、どこまでもそのような「ありきたり」から抜け出ようとする。型にはめられようとする瞬間、彼は遙か彼方に脱出しおおせている。しかし、そこから出てきた作物は、まさに真っ向勝負の「ヒップホップ」なのだ。しかも後からつけた甘みや不自然な匂いがしない、純乎とした、そう、まるで乾ききった身体に降りそそぐ水のようなヒップホップ。水のように澄んでいるが、水のように恐ろしく、水のようにどこにでもあるように見えるが、水のように底しれない。水のような男の音楽の、この不思議な逆説。しかしそれこそは、ヒップホップという音楽そのものが孕む逆説ではないだろうか? ヒップホップほど、既成の音楽と日々を生きる人々の生活に忠実で、なかつ過激なまでに硬直を拒否し、変わり続けてきた音楽があるだろうか? 環ROYは、この新たな「ラッキー」で、またもそのヒップホップの本質を見せつけようとしている。耳を澄ませ。それは必ず聴こえる。

(文 / 佐々木中)