佐々木敦さんと語る、
“純粋に自分のための音楽”

佐々木敦さんと語る、“純粋に自分のための音楽”
構成
國崎晋

3月22日に5年ぶりとなるアルバム『symphil|シンフィル』をリリースし、4月2日には東京オペラシティコンサートホールでライブを開催と、蓮沼執太フィルが全開モードになる中、実はソロプロジェクトも着々と進行していた。昨年9月から配信シングルとして連続リリースしていた音源を、アルバムとしてまとめて作品化するというのだ。それぞれ曲調の異なる作品群はフィルに慣れた耳には新鮮で、蓮沼執太というミュージシャンの幅広さに改めて気づかされることだろう。このタイミングでソロ作品の制作に向かう意図について、「育ての親」的存在の佐々木敦さんと語り合ってもらいました。

佐々木

蓮沼君は2022年の9月からソロ名義のシングルを連続リリースしていて、6曲目がアップされた2023年2月の段階でこの対談に誘ってもらえた。蓮沼執太フィルをはじめ、ほかの活動もある中でソロ名義の音楽はそれらとはちょっと違う……“蓮沼執太という個”としての音楽表現がされていると思った。本人としての意気込みというかもくろみが何となくある感じで始めたのかなと勝手に想像していたんだけど、始まりはどういう感じだったの?

蓮沼

人と共有しちゃいけない、人と繋がっちゃいけない。ウィルスによってそうなってしまったことが徐々に解かれていく状態を「回復」と呼んでいます。コロナ以前 / 以後で変化した!と言えるような大きいことは正直無いのですね。それでも、コロナ禍で基本個人になって、ちょっと時間が経って人に会うと、ものすごく傷付いてる人やとんでもなく落ち込んでる人が自分の近い範囲でいる。そういったことと、自分がやってるような身近な人の繋がりとしての「アンサンブル」が徐々に連帯を取り戻して、再起動していく流れが「回復」的なものかなって。あと近年は誰かのために曲を書くことが多くて、自分の活動に焦点を当てられてなかったんですけど、バイオリズムとか活動の流れを加味して、やっと復活してきた感じがするので、そういう意味合いもありますね。

佐々木

それこそ完成させなくてもいいんじゃないかって感じ?

蓮沼

そう(笑)。でも、完成させないと自分も一歩先に行けないなと。アメリカから日本に帰ってきて生活のリズムも変わったっていうのもあるし、そろそろまとめなきゃないなっていうのが正直なところですね。

佐々木

それってコロナ禍と関係あります?

蓮沼

直接的な関係は無いですけど、ただ、外に出られないからハードディスクに保存されている曲データを見直していたというのはありますよね。

佐々木

海外のミュージシャン……特にヨーロッパのミュージシャンもそういうパターンが多かったよね。ライブができなくて、気づいていたらアルバムができていたっていう。

蓮沼

その感じだと思います。だから特に変わった感じではないです。

佐々木

作り始めていたのはコロナ禍よりも遡る?

蓮沼

2018年くらいからですから、かなり前ですね。

佐々木

作られた時期がバラバラだからか、1曲1曲がバラエティに富んでるよね。

蓮沼

ですね。さっきも言いましたように、今回はテーマとかコンセプトの設定が何もないのでバラバラですね。あと、この2~3年は他者のために音楽を作ることがほとんどになって……聴いてくれるリスナーのためっていうのはもちろんですけど、だれかのために、何かのためにがほとんどになっていた。蓮沼フィルも僕のためというよりフィルのためみたいなものがあって、純粋に自分のために音楽を作るっていうのがあまりなかったんです。

佐々木

まあ、プロになるとそうなるよね。

蓮沼

いつまでもアマチュアのつもりで、できることをやっている感じなんですけどね(笑)。で、何もコンセプトを立てずに自分のためにだけに作ると、こんなバラバラなものになったと。

佐々木

自分だけじゃなくて、他人といっしょにやるプロジェクトだと相手とのすり合わせもあるけど、一人の場合だと自分が作ろうと思えば作れるし、別にやらなくてもいい。曲によるかもしれないけど、長い間放置することだってあり得ると思うんだけど、実際、曲によって制作期間はまちまちだったのかな?

蓮沼

まちまち……長いのだと5年くらいですかね。その間にいろんなところに行くわけですよ。例えば、バシェの音響彫刻の音を録りに行くとか、福島の陶芸工房の音を録りに行くとか。そういう出会いがちょこちょこあって、これは使えるなってどんどん変わっていくんです。それぞれの曲に年表っていうか歴史みたいなのがあるんです。

佐々木

じゃあ、結構形が変わっていくんだ。

蓮沼

作りかけのものを何年か後に聴くと、今の自分とは違うなって思うんです。同じ電子機器を使っていたとしても使い方が違うし、構成される音も違う。

佐々木

そういう作りかけのものを仕上げるにはパワーが必要だよね。

蓮沼

ええ。だから、まさにこれからパワーをかけて仕上げなきゃと(笑)。今回は1曲ずつ向き合っているので、しんどいですよね……最初にテーマがあるものだったら各曲を相対的に観ることができますけど、そうじゃないから大変です。

佐々木

でも、リリースすると決めたわけだから、やんなきゃいけない義務感っていうのが出てくるよね。

蓮沼

ですね。ただ、それこそ佐々木さんに“アルバム聴いてください!”って言ってた20代前半みたいな、自分を表現したいっていうあふれ出る衝動があるわけではないんですけど(笑)。

佐々木

いやいや、あふれ出てるじゃん(笑)。でも、まあ、落ち着いたっていうのはあるよね。昔より今の方が本当は忙しいんだろうけど、

蓮沼

まあ、落ち着いてはいるんでしょうね。あと、最近は社会みたいなものと向き合って活動をしている感じだったんですけど、こういった音源っていうのは僕の主観からいうと社会性を帯びていないんですよ。

佐々木

社会性も無いし、文脈とかも無い?

蓮沼

そうそう。蓮沼フィルも何となく社会性を帯びたものになってしまって、それから解放させているっていうのはありますね。社会性を帯びた活動って、僕ももちろん聴いたり観たりしますけど、実は多くの人がそうでもないのかもと。別にそれは消費されるとかそういう話でもなくてね。割とピュア度が高いです。

佐々木

“社会”という言葉がどこまで含んでいるかにもよるけど、何をしても結果的に社会にかかわってしまうというのは常にあるじゃない。それをどの程度意識してやるかっていうのが、社会的っていうのと関係あると思う。自分の中でどれだけ能動的に受け止めるか、もしくはそれ自体を表現や創作のエンジンにするっていうのもある。今回の蓮沼君の作品はそういう方向でもなく、かといって“俺は俺だけの作品を久しぶりに作るんだ”っていうみたいな感じでもない。

蓮沼

ですね。

佐々木

その合間くらいのいい感じ。蓮沼君にとっての個人的な日常性みたいなものとかかわっている形で淡々と作られていって、それがこの6曲になったんだなというのは、今の話を聞いていて思うし、曲を渡されて順番に聴いたときも思ったんだよね。まさに音楽的な文脈性はあるんだけど、何かのためにとか、作った理由とかがあるわけじゃない。もちろん作る意思があるからできたんだけど、どっちかというとやっていたらできていった感じかなと。それって蓮沼君の精神衛生上良かったんじゃないかと(笑)。だからこの6曲って、歌はないけど、ソロの歌なんだなと思った。俺は送ってくれた曲のファイルのフォルダーに「SONGS」って付けたもん。

蓮沼

ははは。

佐々木

個人的な感じと社会的な感じ、どちらにも完全には寄りかかっていない。ある意味ではあいまいで宙ぶらりん。それが良かった。実際、曲はそれぞれがものすごく作り込まれているものだけど、アプローチというか前提となっている気分が、肩肘張っていないというか自然な感じがして良かった。

蓮沼

そう言っていただいて曲たちも喜んでいると思います(笑)。そもそもあまり理想も目標もなくやっているっていうのもあるし、まあ、自分が作るものの限界もあります。音楽的な文脈の中で僕なりにちょっとでも新しくしていきたいというのはありますけど、それを探っている感じでもなく、かといって“新しい文法をゲットした”という手応えもないんですけど、本当に些細な部分で新しくしていった感じになっている。3カ月前に作った未完成のファイルを開くと、既に“昔の俺”みたいな感じですし(笑)。

佐々木

こんなんだったっけ?みたいな。

蓮沼

そうそう。そのファイルをすぐにゴミ箱捨てたくなります。でも、まあそこを頑張って変えていくっていう地道な作業。まとまった休みを取って作るっていう人もいるだろうけど、今回の場合、どこかで1週間空きそうだったら、そこで自分のための曲を作る時間を入れて、続きはまた数カ月後とか、そんな感じでした。

佐々木

一時期に集中して作っていたらこういう感じにはならないよね。

蓮沼

でしょうね。

佐々木

やっぱりプロセスによってこういう6曲になった。もともとのアイディアが同じだったとしても、かけた時間とか手の入れ方である種のランダム性が出て、いい意味で集中していないっていう感じが良かったですね。

蓮沼

あと、僕はずっと電子音を使った音楽をやっているつもりなんですけど、世間的には圧倒的にフィルの人……アンサンブルを頑張っている人みたいに思われていて、バキバキの電子音ものは聴かれていないというのがあるんです。そういうのもあって、自分探しじゃないですけど、自分の音楽ってこうなんですよっていうのを刻んでおきたいというか、作っているんだから出していかないと、というのはありましたね。

佐々木

最初に蓮沼君と知り合ったとき、やっていた音楽は生楽器メインのものじゃなかったし歌も入ってなかった。俺はそれを聴いて“もっとポップなものをやったらどう?”ってウチのレーベルに誘ったわけ。最初はいろんな意味で一人だったから、一人で作れるものとして電子音をベースにしていた。それがだんだんいろんなプレイヤーとやるようになって、それが大きくなってフィルになっていった。元々蓮沼君が持っている音楽性のコアな部分は変わっていないと思うんだけど、それを奏でるための方法がどんどん拡張していったんだと思う。それができるようになったのは良かったと思うけど、そこで顧みられなくなったのは最初の“電子音楽をやっている蓮沼君”。だから今回の6曲はバンドサウンドもあるし、生楽器の要素も入っているけど、基本的に電子音響的な要素がすごく強く出ていて、そこでとっても楽しくやっているなというのは聴いていて思ったね。

蓮沼

作っていると楽しいだけじゃなくて、厳しいことも多いんですけどね。実は今日、佐渡から帰ってきたんですよ……今度、鼓動と一緒に新作を作るので。で、鼓動の方々にも“仕事楽しそうでいいですね”って言われました(笑)。そして東京に帰ってきたら佐々木さんにも楽しそうって言われてしまった(笑)。

佐々木

だってそう思ったもん(笑)。まあセラピーみたいな感じかな……セルフセラピーでこんな凝った音楽を作った男、みたいな。思いのほかキてたんじゃない?

蓮沼

絶対キてたはずです。

佐々木

本当に楽しんで作っている感じがするよね……最近は楽しんで作っているように聴こえる音楽が少ないから、なおのことそう聴こえる。

蓮沼

音楽的に明るいか暗いか、両面はあると思いますけど、楽しさは何なんでしょう……出ちゃうんでしょうね。

佐々木

いい意味での気の抜け方なのかもね。目的意識が無い、完成しなくてもいいからっていう。世間の蓮沼執太の音楽に対するイメージは“さわやかで、あったかくしてくれる”っていうもの。でも、本人に話を聞くと、割とぐじょぐじょしている。そのズレや落差が本人を苦悩させているのかもしれない……“俺だって悩んでいるんだ!”みたいな。

蓮沼

まあ、つまんなそうにとか、苦しそうに作っていると思われるよりはいいですよね。

佐々木

灰野さんとやるときはちょっと違う……“黒蓮沼”も出て来るよね?

蓮沼

そうですね。そういう黒蓮沼を出す活動とかもろもろやっていくと中和される感じです。

佐々木

6曲がアップされているわけだけど、このままこのシリーズで10曲くらまで行くの?

蓮沼

そういうふうにしたいと思っています。でも、この6曲まで続けられたっていうのが凄いなと。

佐々木

ここまで来たら、このあとはもう完成に向けて仕上げにかかるよね?

蓮沼

そうですね、だから佐々木さんにいらしていただいてるわけで。“俺、このときこう思って、こう発言していた”とか、記録しておきたいんです。

佐々木

まとめるって今の時代なかなか難しいじゃない。サブスクだったらそれこそ曲が完成しなくてもいい……カニエ・ウェストみたいに聴くたびに曲が変わっているっていうのもあるし。

蓮沼

うーん、ちゃんとまとめたいですね……レコードで聴きたいし。サブスクって厳しいんですよ。すべて数字として可視化されるようになったから、アルバムで曲がざーっと並んでいると最初の方だけ聴かれるとかが分かっちゃう。まあ、LPレコードを聴いているときにA面でやめちゃったりするのと同じって思うこともありますけど。そういう意味では、まあ、リスナーのことを考えていないというか、僕が単にアルバムにしたいと思っているだけですね。

佐々木

アナログに向いている感じかもね。片面3曲ずつで2枚組みにして12曲とかにして、海外のレーベルから出すといいんじゃない? 特に海外はバイナルとデジタルがスタンダードになっているし。

蓮沼

ただ、サブスクがダメっていうわけでなく、それこそ前に佐々木さんのレーベルからリリースしたアルバム『ポップオーガ』が、急にプレイリストに入って注目されたりとか、そういう発見みたいなものもありますよね。

佐々木

今はそういうことが起きるよね、あまり時間軸関係無く。

蓮沼

そういう自分が意図していない動きっていうのがあるんだなと。やっている分だけ、だれかは見ているし、だれかが聴いている。なので、作れるんだったら作っておこうと改めて思いました。目先の利益だけ追っているとそういうのが作れなくなってしまいますから。