蓮沼執太 | Shuta Hasunuma

ミュージック・トゥデイの2013年

Date

2013.09.16

今年の七夕はミュージック・トゥデイでした。ミュージック・トゥデイ?今日の音楽?
勘のよい方は、その昔、武満徹さんが企画・構成し、国外を中心とした音楽を日本に紹介してきた音楽祭の名前ではないか!と、思われるはずです。その通りで、僕はその武満さんのタイトルをカタカナ表記にし、自分なり(1983年生まれの人間)の時代感を持った、今日の音楽をプレゼンテーションする場として、このミュージック・トゥデイをスタートさせました。いわゆる自主企画というやつです。

2013年で3回の公演を行ってきました。

1回目:2011年にはアサヒ・アートスクエアにて「ミュージック・トゥデイ・アサヒ」を。
http://www.shutahasunuma.com/performance/570/

2回目:2012年にはラフォーレミュージアム原宿にて「ミュージック・トゥデイ・ラフォーレ」を。
http://www.shutahasunuma.com/performance/1505/

そして、今年は大阪・国立国際美術館にて「Music Today on Fluxus」を。
http://www.shutahasunuma.com/performance/2344/

そうです。今年は英語表記になっています。これは共演をする塩見允枝子さんが決めてくださいました。

まずは、以下の2つの公演評をお読みいただけると、公演の経緯や結果などがいろんな角度から観ることが出来ます。.fataleでは、ICC主任学芸員の畠中実さんが。realkyotoでは、今回の企画でもある国立国際美術館の橋本梓さんが寄稿してくださっています。.fataleの方では映像もご覧頂けます。

http://fatale.honeyee.com/culture/feature/2013/mtf/

http://realkyoto.jp/blog/5786/

橋本梓さんから約1年前に、常設展示でのコレクション展でフルクサスと塩見允枝子さんを扱おうと思っていて、僕と塩見さんで、何か一緒に出来ませんか?というお誘いを頂きました。僕にとってフルクサスは高校生時代から音楽を越えたパフォーマンスをしているグニャグニャしたニューヨークの前衛集団というイメージがありました。それはアートでは無く、音楽を越えた存在として、僕の中で存在していました。(この辺りの感覚は大事なスタンスな気がします)ちょうど20歳くらいに、うらわ美術館にてフルクサスの大きな展覧会があり、それまで書物の中の存在だった過去の表現たちが、展示という形で僕の前に現われた新鮮さは、今でもよく覚えています。リレーショナル・アートという系譜で今日の現代美術からフルクサスへと再考された橋本さんとは同じようで、すこし違っていました。もちろん自分の生涯において、リアルタイムでは無いのにも関わらず、フルクサスはどうも生きた感覚で僕の中に入っていました。やっぱり記録物としての音楽からもその実体を掴もうとしていた個人の軌跡が妙なリアルタイム感を風化させないんだと思ったり。

あ、話がやや逸れました。
まだ僕が今回の塩見さんとのコラボレーションにおいて、ミュージック・トゥデイをやるということは決める前に、1度塩見さんのお宅へお話に伺いました。上品な町並みの中に、上品なお宅がありました。冬も終りに近づいていて、玄関先に小さな梅の木が飾ってあり、その暖かさが第一印象として、塩見さんご自身とシンクロして柔らかいイメージを持っています。そこでは、塩見さんのピアノ作品の音源を聴かせて頂きながら、フルクサスの思想や、いまの考えなど、たくさんのことを対話しました。まるで、同年代のアーティストと話しているかのような柔軟な発想や感覚、しかも過去の自分の行動に誇りを持ちつつ、これから出会うであろう未来のご自身塩見さんやオーディエンスの事までも、時間軸は関係無く考える思考に大きく共感を覚えました。対話を続けるにあたって、僕は1日限りのイヴェントで、自分が毎年開催している音楽会『ミュージック・トゥデイ』の企画として開催したいとお伝えしました。もちろんタイトルの意味も塩見さんは承知しているだろうし、「この若者が何を言っているんだ!」と思われても仕方ない生意気さだとは感じながらの提案でした。そして、数日後、塩見さんから【Music Today on Fluxus 蓮沼執太 vs 塩見允枝子】はどうですか?というお返事が来た時に、さらにさらに自分の時間軸を越える想像力に驚きました。肯定な姿勢を押し進め続けると、未知な大きい扉も開くものなんだな、とこの時、思い知りました。

公演の内容については、上記にリンクした2つのレビューが非常にわかりやすく、シンプルに伝えてくれているので、ここでは省きます。これからは、音楽をパフォームした後の演奏の感想を書き続けていきます。

まず、当然のことですが、国立国際美術館の展示室は音楽を演奏する場所ではありませんでした。美術作品を展示するために設計された空間です。それでも、過去、僕は様々な場所で自分の音楽をインストールしてきました。今回も僕1人だけでなく、多くのスタッフの経験と知恵をお借りして、一番良い状態の音響構造をこの空間で出力しようと試みました。ここは吹き抜けの地下3階という構造です。どんどん音が上に伸びていき、飽和して、ぼやーとした音像がオーディエンスの耳に、体に、音が伝わります。

なので、まずは楽曲構成から芯を太くするように組み立てていきました。
どんなに具体的で楽器のアレンジを活かした楽曲をしても、この空間では抽象的な音像になってしまう。そこで思いついたのが、ヴォーカル中心のより高い具体性の曲をメインにしました。環ROYのラップ曲、木下美紗都のヴォーカル曲を大々的にフューチャーして、楽器の個性よりも、構造的にシンプルな(ここでいうシンプルはPOPS構造の楽曲)もので楽曲構成を組みました。それと同時に、グリッド感の少ない『Centers#1、#2、#3』を演奏することで、バランスを保ちつつ、現在のフィルの音楽性を出そうとしました。関西に数台しかないといわれる「FUNKTION-ONE」を導入して、よりアンプリファイした音像にしていきました。こちらは大成功。

このアンプリファイとシンメトリックな感じで、塩見さん作曲の4つのイヴェントが行われました。塩見さんのイヴェント群はアンプリファイとはほど遠く、とても日常の延長のような身体と近いスタンスで表現される演目でした。多くは僕がリーダーとして、会場のオーディエンスやフィル・メンバーを導いて、イヴェントのパフォームをしていきました。自分の作品を演奏するために編成したフィルのメンバーが塩見さんの作曲されたコンポジションをパフォーマンスしている姿は、個人的に新しい一面を観ることが出来、素直に、そして丁寧なパフォーマンスをしていたフィルメンバーに改めて感動しました。(普段は不満があると子供のようにブーブー言われるのですけどね。。。)

毎年、ミュージック・トゥデイの現場は自分にとって、常に宙を浮いている感覚に落ち入ります。アサヒのときも、ラフォーレのときも、そして今回も。イヴェントの中心であるし、出演もするっていうWパンチな状況でもある。それだけ自分の緊張感も高い1日であるし、終わったときの達成感の大きさも計れないくらいデカいし、同時に疲れもする。毎回、後味がすこぶる良く終わる大切なイヴェントでもある。こういう小さな感触の積み重ねがとても気持ちがよい。感謝の方向がオーディエンスをはじめ、スタッフやメンバー、そして自分にも向くほど、更新した心持ちになる。

例えば、短い時間軸や文脈から判断すると、なぜ僕と塩見さんが2013年の七夕にミュージック・トゥデイをやったの?っていう意見も出そうです。しかし、僕にとっては、より大きい時間軸で1つのイヴェントのために多様なアイデアを出し合い、仲間を集めて、イヴェントを共有した限られた時間の価値が、あの場にいた全員にとって、とても意味があるものになっていたと思います。

次は、来年は、どこで、ミュージック・トゥデイを開催できるだろうか?