蓮沼執太 | Shuta Hasunuma

アルトノイ初演を終えて

Date

2013.10.22

アルトノイ

10月18日から20日までの3日間、彩の国さいたま芸術劇場にて『dancetoday 2013 ダブルビル』島地保武+酒井はな のお2人による新しいユニット「アルトノイ」の新作の音楽を担当しました。2人は公私を共にするパートナーです。島地さんとは共通の友達がいて、その紹介で知り合いになりました。彼はウィリアム・フォーサイス主催のフォーサイスカンパニーに所属するダンサーです。フォーサイスはもちろん僕も知っていたし、日本で公演をするチャンスが少ないのでダイレクトに観ているわけではなかったけど、映像や記録資料などでも観ていたし、島地さん同様にカンパニーに所属されている安藤洋子さんの公演は何回も観てました。そんな彼がこの冬に帰国をした際、僕はちょうどアサヒ・アートスクエアで『音的|soundlike』を開催中で、最終日にインプロビゼーションで展示室で踊ってくれました。展示室での僕のサウンドたちはいわゆる具体的な音楽というよりも、たくさんの音が広い空間であちらこちらで鳴っているアブストラクトな音像でした。そこでのパフォーマンスが素晴らしかった。僕は強い踊りに出会ってしまった!って言っても過言ではなく、展示ではガッチガチにロジカル思考だったところに、強いフィジカルが入った事によって、自分の頭でっかち感が恥ずかしく思えるほどでした。その時はコンセプトに一生懸命だったので、島地さんの品やかで厚い身体の動きは衝撃的でした。

さて、アルトノイのWEBサイトは石黒宇宙さんが担当しています。彼は僕の、これから出来る(!)蓮沼フィルの、島地さんのサイトも制作しています。そのアルトノイのサイトで往復書簡が読めます。そこでも記載されているので、制作を依頼していただいた最初のメイルをここに転載してみます。2月20日のことでした。

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テーマは愛です。
いままで臭いと思ってきたことを、こんなときだから本気でやろうとおもいます。
コンセプチャルな作品でなく純粋に踊ることをしたいというのが、今回のもくろみです。

ダンスとアートを切り離して考えたいというか、とにかくダンスがしたいんです。

今回は僕(コンテンポラリーダンス)がはな(クラシックバレエ)に寄るというところからクリエーションを始めています。
クラシックバレエの名作の白鳥の湖のグランアダージョを僕が覚え、そこから崩すことをしたいとかんがえています。崩すというのは例えば振付を逆再生したり、バランスをオフにしたり、男女のパートを入れ替えたりなどです。クラシックはやはり厳密に作られていてとても理にかなっています。クラシックの素養のない僕が崩す基盤にするためにクラシックを新たに習得するのはかなり大変です。ある意味今の自分のコンテンポラリーという基盤を崩すことにも繋がってます。とても難しことを短期間でしようとしています。

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なるほどねぇ、と、島地さん、かなりチャレンジングなことをしようとしているんだなぁと、すぐにわかりました。僕は当時(今もですが)センス任せ主義やコンセプト主体の制作やから逃れたいと思っていて、ソロでは技術的に高い作品に向かいたいと試行錯誤してました。クラシックバレエの様式のひとつの『グラン・パ・トゥドゥ』に島地さんが彼なりに挑戦するということで、僕もその様式に正面から挑むように強いバレエ曲を書いていくスタンスをとりました。バレエの中では「the 王道」を僕らなりに向き合う制作になったわけですね。

とわいえ、彼はフランクフルト在住ですし、さらにフォーサイスカンパニーの一員なので、ドイツですらほとんどおらず、世界を行ったり来たりしているので、制作のキャッチボールは直接会ってではなく、メイルベースでの意見交換や自分紹介からはじめていきました。そんな関係でクリエーションを進めて来れたのはやっぱりさっき書いたような明確な姿勢が僕も十分に共感を覚えたからですね。まずは、『グラン・パ・トゥドゥ』の中から「adajo」を作曲しました。パ・トゥドゥの中の楽曲はとにかくメロディを畳み掛けるように、強くシンプルにこだわってみました。その後「coda」も作りピアノ曲のベースが出来ました。7月後半から島地さんは来日されて田町にあるスタジオ・アーキタンツにて集中的にレジデンスに入って、はなさんと一緒にクリエーションをスタートさせました。バレエのスタジオなので、セミグランドのピアノがあり、僕も即興でフレーズを弾いたり、彼らの音をその場でレコーディングをしたりしていきました。島地さん、はなさんのヴァリエーション・ソロもスタジオでの稽古のときに作ったピアノフレーズを基にしてコンポーズしていきました。

そして、ちょうど一週間前の11日に島地さんはニューヨークから帰国して、劇場入りでした。音楽の制作進行は『グラン・パ・トゥドゥ』以外の部分も楽曲は既に作り終えて、会場での複数スピーカーでサラウンドにしたので、その調整を現地で仕込んでいきました。そこでもあまり出力を細かくせず、あくまで会場の良い部分を引き出すためのサラウンドにしました。

ダンスの稽古に参加していると、人間の刹那や瞬間みたいな事をモヤモヤと考えます。常に違った踊りが目の前に立ち上がっては消えていく感じが新鮮だし、生きていれば自分にだってそんな瞬間はあったりするだろうな、とか思ったり。プリマバレリーナのはなさんの動き、島地さんのエッジの利いたフォームを眺めていると、単純に美しくもあるし、小さいコンテクストの中で複雑なアイデアを入れこむのではなくて、もっと正面から表現に向かっていく姿勢も美しく感じたりしました。何と言うか、ふつうに基礎力のものすごい高さがあって、更にその上を表現しにいっちゃう果敢さに彼らと一緒に時間と制作を共に出来たからこそ、もっと大きいスケールでダンスと音楽の領域を捉えることが出来ました。僕はすごいラッキーでした。

結果的に、演出的な音も作曲したし、パ・トゥドゥの4曲、山下達郎のアレンジも関わって、当日は最後部にセットを作ってオペレーションをしてました。この辺りは先日のARICAでのイトケンさんの影響も大きかったし、大谷能生がよく言っている舞台での音響オペレーションの話を何となく聞いていたかいもあって、独特の緊張感と共にやってみました。(先輩の行動は自分の目でよく観て、話はよく聞くべきだな!って思いました。笑)

さて、初日の公演で2人がデュオで踊る「coda」のシーンでパソコンのエラーで音がストップしてしまいました。大アクシデント発生。何もしらないオーディエンスは演出だと思ったらしいのですが、無音の15秒間(踊ってた2人や僕は30分くらいに感じた長~い無音時間・・・)が発生しました。終演後「ごめんなさい!!」と楽屋に直行したわけですが、機材のアクシデントは舞台の魔物のせい、ということになったんだけど、このアクシデントを明日からもやりたい、と僕は島地さんに言いました。無音になってしまった部分を明日から敢えて無音にしていく。もちろん我武者羅では無く、前にも書いたように強いメロディーを畳み掛けていた「coda」の中で瞬間的にサイレンスが訪れた時に、2人の体の動きが作る時間感覚が伸び縮みしたんです。今まであった物が急に目の前から居なくなってしまって、すこし時空が歪む感じってみなさんも経験ないでしょうか。そういう時間の操作を作る、というか、身体表現において永遠の時間と圧縮された時間を考える上で、アクシデンタルに手に入れた技が分厚いメロディの中に急に訪れるサイレントでした。それをOKして、チャレンジしてみよう、と思える島地さんはやはりフォーサイスの元での海外経験があるからだと思いました。さらにそれに付いていくはなさんの柔らかさ。素晴らしいペアだと改めて思ったし、劇場入りをした時にスタッフも増えてしまって大事なことを忘れていたんですが、このアクシデントのおかげでシャキーンと目が覚めて、自分が彼ら2人と一番近い位置で一緒に制作をしていたことを思い出しました。一緒に作ってんだぞ、この作品!っていう根本を見直せました。

毎回ここに書く文章長いって友達に言われるんですけど、まだこのスタイルに飽きていないし、もう少し出来る気がしてます。はい、以上です!

と、神戸に向かう新幹線でこれを書いてました。今日から11月の個展のために関西入りです。今日から3日間は淡路島に滞在します。現地でもフィールドワークをしますが、怒濤の制作続きだったので、個展設営前に頭の中の整理をしたいと思います。淡路島、楽しみだなー。

雑誌のSWITCHで小さい連載がスタートしました。「蓮沼執太・アクティヴィティーズ」というタイトルでやってます。次のエントリーはこの事について書いてみます。11月は展示もライヴもあるので、みなさん芸術の秋という事で、足を運んでみてくださいませ。

10月の移動

Date

2013.10.14

もう10月も半ばをすぎて、芸術の秋を楽しむ余裕も無く、時間がすぎていきますね。って言っても、そんなにネガティヴな気持ちでも無くて、毎日亀のようなスピードで色々な制作を進めてます。作ったり出演したりばっかりで遊べてないな、って意味です。いまは10月18日から彩の国さいたま芸術劇場での『アルトノイ(島地保武+酒井はな)』ダンス公演の音楽制作、アプリの音制作、CMの音楽、フィルの諸々の準備、そしてそして神戸での個展の制作と立て続けにやってくる波に乗るように時間の合間を縫って、僕は愛知へ行ってきました。

あいちトリエンナーレも観たのですが、メインの目的はカンパニーARICA、ベケット原作『しあわせな日々』を観に行く事でした。僕はARICAの公演を初めて初めて観るのですが、今回は舞台美術に金氏徹平、音楽にイトケン、宣伝美術に須山悠里、という自分と所縁のあるメンバーが関わっているということもあって、これは初演に観に行かねばな!という気持ちでしたね。

トリエンナーレも1日だけでしたが、足を運べるところには運んで様々な作品を観てきました。名古屋市美術館(設計が黒川紀章だというのを初めて知りました。朴訥としていて好きな建築なんですよね・・・)や愛知芸術センター、岡崎シビコなど駆け巡りました。中でも青木淳、アルフレッド・ジャー、青木野枝、ワリッド・ラード、向井山朋子+ジャン・カルマン など他にも気になるのもたくさんありました。モンモンと考えることも多かったですが、展示会場が野外でも、美術館でも、古びたデパートでも、環境がそこに在るのは当然ですよね。そういった環境下でも作品力が高いものが心に残りました。何と言うか、「サイトスペシフィック」という言葉はホワイトキューブの中でも在りえることだし、その言葉自体はあまりに基礎的なことなので、例えば「環境を上手に使おう」という指向が感じられると急激に作品が持つ説得力が失いそうだなぁ、なんて思ったりしました。あまり音楽でもフェスや美術フェアなども足を運ぶのが重めの僕ですが、今回は天候が良かったし、歩き回れる国際美術展としては僕は面白かったです。正直な感想だと連日の休み無しで制作だったので、良い気分転換になりました。

夜はARICAでした。会場ではタイチさんや八木良太さんなど関西で会えそうな友達が来ていて、偶然会うっていいなぁって思ったりしました。原作がサミュエル・ベケットなわけですが、ベケットを使った演劇作品って思い出してもパッと出てこなくて、そんなに熱心に劇場へ足を運んでいた輩ではありませんが、僕は学生時代の小演劇場でちょこっと観たり、なぜか池袋の芸劇とかで観た記憶があります。カンパニーはフランスだった気がします。今でもなんで観てたのかが不思議ですが、古典を勉強しなきゃ、みたいな気持ちが当時あったのかなぁ・・・?さて、ARICAのベケットですが、今回の作品のための倉石信乃さんによる新訳のようで、こちらもARICA仕様となっていて、現代的に解釈されているのかな?と期待も膨らみました。会場に入ってまず驚いたのが金氏さんの舞台美術。前回の岡田利規さんとの『家電のように解り合えない』とは全然違う。その違う感じって、何と言うか、遠巻きで見ると混沌としていそうだけど、木材などの有機物が発する偶然性はあるものの、目を凝らせばこらすほど、実はかなり深いコンポジションの元に構成されてました。まずは第一印象で舞台美術に驚いたし、その日観たどの作品よりも彫刻作品とし群を抜いていました。素晴らしかった。この彫刻の凄さを僕は終演にかけて知っていく事になります。このコンポジションの深さは演出の藤田康城さんにもと共通しました。ベケット自体が持つ文学者との一面と精密性の高い演出の解釈まで徹底して藤田さんのこだわりが入っており、それはカンパニーARICAのメンバーの身体性やチームワークの雰囲気までも飲み込み、ミックスされていました。強いコンセプトやセンス高い解釈とは別のレヴェルで完成度の強度を持っており、非常に共感しました。アフタートークが藤田さん、金氏さん、小崎哲哉さんで行われて、作家の声で、その作品に対する姿勢を聞けた事で僕の作品解釈が拡がったのは、やっぱり古典作品にチャレンジする際はアフタートークって、とても大切なことだなぁ、と思ったり。解釈の方法が気になるものですね。

そして、音楽のイトケンさん。全部生で演奏してると聞いて驚きました。もちろんMAXでのアルゴリズム使いつつだと思うんですが。音の面での、会場環境の理解も素晴らしかったし、繊細な職人仕事!とも言うべき丁寧さ。柔らかいサインウェイヴを重ねたハーモニーだったり、演者の手元の動作音を拾っていき、演出的にもなり音楽的にもなっていく音のアンプリファイの方法など。細かい仕事を挙げればキリが無いほどの要所要所で「イトケン印」が押されてました。唸りましたね。素晴らしかった。金氏さん、藤田さん、イトケンさんといい、僕が最近もっとも関心がある、作品と人間の関係や共有ではなく、作家自身が持つ高い技術をそのまま発揮することで結果的に強い表現に繋がっていき、結果それが統制がとれたコンポジションになっていくような形。とても勉強になりました。(←本当に個人的なことを書いてしまった・・・)

夜は Nadegata Instant Party の山城くんと野田さんの新居におじゃまして、翌日はナデガタ作品もじっくり観ました。彼らの素敵な新居もよい場所で、世界くんもスクスクと大きくなってました。彼に子守唄を作曲する約束を果たさなければね。早く書かないと子守唄なんて必要無い年齢になってしまうんだろうし。

そして、昼間にはもう東京に戻ってさっそくフィルの打合せをして、夜はダンス公演の音楽制作と展示のスタディーを整理してと。あっという間にまた制作の日々にカムバックでした。

いまは原宿のVACANTでこれを書いています。「東京の小豆島 小豆島の東京」というイヴェントに参加しています。作本潤哉さんと毛利悠子さんと僕の3人で「滞在制作」の話をちょこっとしました。イヴェントももう佳境です。

タイトルを決めた

Date

2013.10.11

タイトルを決めた

本当に難産だったなぁ。こんなに考えたのは(悩んだのは)初めてだと思いますね。僕はよく一度作ってしまった作品とその作家(僕)との関係は、完成したら「切れた関係」になる、と思ってます。説明すると、毎日コツコツと作品に向かっていって、毎日触れて、毎日聴いて、毎日見つめていき、それが時間をかけて出来上がる。そして、出来上がると僕は「よし!お前もこれで一人前だな!もう僕のもとから離れて、世界へ羽ばたけ!!」という親心的なスタンスになってしまい、急に毎日時間を共にしてきた作品くんとは、もう僕と違う時間を生きてもらう、っていう気持ちになるんです。これは展示タイトルや共同作業のタイトル決めではなくて、主に音楽アルバムを作った時にそう感じていて、実はファーストアルバムを作ったときから、同じだったので、これはもう自分の性格なんでしょうね。過去に5回くらいあるんですけど、ずっとこの感じ。作り終えたら、僕の物では無くなるんですね。音楽アルバムのタイトルって、作品を作っている初期の時から、何となくモヤモヤとイメージしていって、気になった言葉などのフレーズを手帳にメモとかしちゃったりして、アーカイヴしていって、たまに読み直して、口で発音したりして、その作品とその名前を自分の中で関係をつけていってあげたりします。慣れさせてあげるんです、自分を。最初はどうしても違和感しか残らないんです。うーん、名前を付けるって、本当に難しい。

で、何のタイトルを考えていたかと言うと、蓮沼執太フィルのスタジオ録音アルバムの名前です。7月末にレコーディングを完成させて、この3ヶ月間ずっと、ずっと、考えていました。例えば、僕の過去作は全て造語でした。『OK Bamboo』『POP OOGA』『wannapunch!』『CC OO』と。読み方もよく間違えられるけど、造語というのは、この世にひとつしか無いネーミングなので、僕はとても気に入っています。『ポップ・オーガ』っていうのは、意味はあるんだけど、言葉の響きがすごい好きでした。『シーシーウー』っていうのも、4枚組のCDを並べて記号的に「○(丸)」が4つで「C・C・O・O」ってイメージしていって、こちらも言葉の響きが気に入って採用!になりました。これなら作品の方も「オリジナルな名前を頂けて嬉しいです!」って思ってくれているに違いないです。でも、今回は蓮沼執太フィルなんです。フィルって僕のソロでは無いけど、集団リーダーとしては、自分が名前を決めないといけません。フィルの歴史や成り立ちやメンバーの顔や人柄とか。このアルバムがリリースされて、どういうリスナーに届いて、どういう時間でみなさんに聴かれるとか。CDとかレコードとかPC上とかコンサートとか、今僕らが想像している以上の環境下で、記録された音楽が再生されることもあるかもしれないとか。もしかしたら過去に届く音楽もあるかもしれないとか。本当にいろんな事柄を可能性を捨てずに考えていって、それを何とか、何とかして、言葉に落とし込む、っていうことをずーっと考えてきたんです。長かった。それを昨日の朝、決断しまして、メンバーとスタッフに送りました!メンバーに伝える事が出来て良かった。

さて、この作品がいつリリースされるなど、全然公表されておりません。が、そろそろたくさんの情報が一気に流れてくると思います。フィルの諸々を丹精を込め続けてました。コツコツと。

夏と秋はアルバム制作で眠っていた我々のフィルですが、11月くらいから来年も怒濤のアクティヴィティが見れるはずです。今から僕も心身を鍛えてます。眠っていた分、暴れてやる!っていう気持ちも持ちつつ、フィルの瞬間瞬間を楽しめるように、じっくりとゆっくりとマイペースで歩きたいですよね。みなさんもよろしくお願いします!絶対について来れるスピードなので。

あ、名前のことって言うと、先日タブラ奏者のユザーンとラッパーの環ROYと仙台へ行ってきました。その時にドカッと休憩時間が出来て、目の前にいるユザーンのWEBサイトでQ&Aコーナーがあって、そこに投稿したら、ものの数分で答えをくれました。この鮮やかな解答劇には驚きました。即レスっていうやつですね。作家みたいなスピードだったなぁ。すごいな、ユザーンは。ありがとうーユザーン。

http://u-zhaan.com/q_and_a/

みんなで練習をしよう

Date

2013.10.05

前回のエントリーは日記調だったので、今回は何にしよーかなぁ、と考えているけど、ここのページはすごい気分に流れて、乱筆ペースを崩さずやっていきます。

昨日今日とで、富山に行ってきました。□□□(クチロロ)の村田シゲさんにおよばれしてもらって、『三浦康嗣 × 村田シゲ × 環ROY × 蓮沼執太 × 川崎亘一 × 木暮栄一』というすごい名称で演奏をしにいってきました。

クチロロは WEATHER/HEADZ の先輩とよく言われるのですが、実際に、三浦さんと僕の話では「HEADZの中ではだいぶ俺たち、レーベルアーティストとはキャラが違っているよなぁ。」なんて話すくらいで、全然HEADZっぽくない(っていうと、佐々木さんが「おいおいー!こらこらー!」って言いそうですが。笑)。クチロロはcommmonsっていうレーベルでメジャーデビューをしているし、僕なんかは自由に(?)好き勝手に(?)自分の音楽の中をスイスイと泳がせてもらっているのですが(それもHEADZの寛大さのお陰でもあります)。。。でも、そういう繋がりがあって、一緒にライヴをしたりする仲なんですね。はいはい、いつも通り、前置きが長くなりました。。。

僕はチームやフィルを組織しているから、どうしても「バンマス(バンドマスター)」と呼ばれ、フロントマンとして振る舞います。演技をしてます。でも、演技といっても、フェイクでは決して無くて、一生懸命、全力で演奏をしています。でも、でも、フロントマンという自覚が薄いんです。それでも、世間からはフロントマン扱いをして頂けるので、いわゆる「バンド」のサポート、っていうのに呼ばれません。まあテレヴィジョンのトム・ヴァーレインがニューヨーク・ドールズのサポートはしないっていうか(ちょっと違うかな?)。つまり、フロントマンは中々、サポートに呼ばれないっていうところを、クチロロの三浦康嗣は僕を鍵盤でサポートに呼んでくれるんです。演奏家としてのミュージシャン・シップを持っていない僕としては、そんな三浦さんのオペレーションはまさしく「チャンス・オペレーション」なんです。(こちらはジョン・ケージのソレではなくて、英語的に直訳で。)ということで、クチロロのサポートももう3年くらいやっています。年がら年中ずっとサポートしているというよりかは、年に4日くらい演奏を手伝う、という感じです。

今年もクチロロ『ジャパニーズ・カップル』ツアーに参加して、三重県と大阪、そして東京と3都市を回ってきました。僕はサポートといっても、特にメンバーからは演奏指示は無くて、自由にやっています。ここでもスイスイと泳いでる感じなんですね。リハーサルには参加するけど、特にスコアに起こさず、ジャム(ジャズの)のように音を合わせていきます。生ものに扱う感じでクチロロの音楽に寄り添っていくんです。三浦さんもシゲさんもせいこうさんも生もののように生鮮さを大切にするんですね。これにはサポートをして初めて気付いたことで、驚きました。結果、演奏はジャム色が強くなります。音源では三浦さんの繊細なコンポーズの上で、音楽が動いていくんですけど、僕と同じ考えで音楽の予定調和を強く嫌うから、結果ジャムっぽくになる。でもジャムはジャムでも、センスがとわれるジャムになるんですよね。言葉で書くと「ジャム」しか言ってないんだけど。そこは僕と三浦さんの音楽的な感覚が近くて平然と自由に出来るんですよね。それがあるから、僕もクチロロの音楽や人柄にとても馴染んでいけるんです。本当に感覚的ことなんです。でもこの感覚的な判断というのは、いわゆる即興とは違う心身の使い方をするんです。単純に、一定のフレームを用意して、その中で自由に演奏する、というようなバンド的ジャムの現在進行形なんだと思います。その決定的な違いは身にしみて感じます。

それで、やっと、やっと、本題です。先日、富山へ行ってきたんです。環ROYとthe band apart 川崎さんと木暮さんと。4日連続毎日スタジオでリハーサルをして、新しいバンドとして、お互いの楽曲をミックスしながら演奏していくスタイルでのパフォーマンスになりました。

まずはセットリストを。(ミュージシャンみたいに)

1:GOLDEN KING(□□□曲)
2:ワンダフル(環ROY曲 三浦さん作曲)
3:Hello Everything(蓮沼曲)
4:ハッピーバースデイ(環ROY曲 三浦さん作曲)
5:そうそうきょく(環ROY曲 蓮沼の作曲)
6:ex-girlfriend(□□□曲)
7:仇になっても(the band apart曲)
8;Kids(環ROY曲 三浦さん作曲)
9:仲間(環ROY曲 蓮沼の作曲)
10:moonlight lovers(□□□曲)
11:ONEMAN(蓮沼曲)
12:YES(環ROY曲 蓮沼の作曲)
13:00:00:00(□□□曲)

ec:YOU & I(□□□曲)

環ROYの楽曲は、三浦さんと僕の作曲したものを演奏するスタイルで、1曲バンド・アパートの曲を演奏しました。
コンポジション的に環ROYに書いた僕の楽曲は非常にロックなアレンジが可能で、一瞬で音圧を分厚く出来るし、縮めることもできて、今回の富山公演でバンドアレンジで聴くこと(演奏すること)が出来て、客観的に作曲のお勉強になりました。
それで、本題なんですが、何を言いたいかというと、この一週間で、普段では出会うはずの無いミュージシャンたちを集めて、練習して、本番へ、という流れが個人的に本当に面白かったんです。クチロロや環さんとは前々から友達だけど、川崎さんや木暮さんもリハーサルを重ねて行って、日に日に仲間になっていって、本番で演奏をする。っていうミュージシャンにとっては当たり前で、当然すぎるかもしれない土台を作ってくれて、僕に機会を投げてきたシゲさんにありがとう!と言いたいです。この一週間はアっという間にすぎてしまったんだけど、またどこかで、このメンバーで、この音楽を演奏したいなぁと感じました。それは僕にとって、ミュージシャン・シップを鍛える鍛錬のようで、今までスルーしてきた事柄から前を向いているようで、とても気持ちが良かったです。

感傷に浸っている間も無く、今日は富山の氷見港へ行き、昼すぎに東京に戻り、多くの制作しなければいけない用事を振り切って(まったく振り切れてなく、時間軸だけの話だとただ単に仕事を後回しのようにしているのだけど・・・)SOUND LIVE TOKYO の演目で、クリスティン・スン・キムさんと飴屋法水さん×工藤冬里さんの公演を観に上野へ行ってきました。とってもいろんなことを言いたい気持ちです。(また今度チャンスがあったら)
そして、来週は『アラカワアフリカ4』の展示も終わったり、ユザーンと環ROYと僕の即興トリオで仙台へ行ってきます。ライヴでは無いのだけど、先週も僕のアトリエで3人で集まってはじめての楽曲を作りました。こちらの模様もこのページで色々と綴っていきたいなと思ってます。

富山の氷見港魚市場の写真を。市場にある食堂では、サメの写真だったり、クジラがあがってしまった時の写真、マンボウやタコの写真など、店内の雰囲気が僕にとても引っかかっちゃいました。これらを写真に収めたのでアップしますね。