6枚組音盤を言葉にする。14人の書き手による批評

音楽の書き手14人に、6枚組CDをディスク別で批評していただきました。言葉から音楽が立ち上がってくるような、さまざまな視点からアルバムを見つめる試みです。ぜひお読みください。

14人の書き手による批評 一覧

  • ここ10年のポップ・ミュージックは、歌唱表現の進化と共にあった。いうまでもなく、その進化をもたらしたのは様々なヴォーカル加工装置だ。それらのテクノロジーはジャンルを問わずに音楽家たちの創造性を駆り立て、肉声による感情表現のあらたな可能性を切り開いていった。別の言い方をすると、もはや「ボーカロイドやオートチューン=無機質」といったような偏見ほど旧態然としたものはないのだ。read more →

  • 蓮沼執太の音楽のある部分、その活動のいくつかから思うことは、蓮沼の音楽実践とは、これまでの多くの音楽家、あるいは美術家たちの試みの再学習のような側面があるということだ。read more →

  • ここに収められた楽曲には、いずれも日常性への寄り添いがあって、にもかかわらず私たちはじっと聴いているうちに、そこに少し違った現実を見出す結果となる。なぜそうなっているのか。read more →

  • 「実験は嫌だけど、発見はいいじゃない」――これは以前ASA-CHANG&巡礼のインタビューで打楽器奏者のASA-CHANGが筆者に語った言葉だが、蓮沼執太の音楽を聴くといつもこの発言を思い出してしまう。read more →

  • 例えば「Waving Flags –instrumental “Miu Sakamoto”」と「Music for AIR –scene drive」が同じ作家/演奏家の録音として1枚のディスクに収録されていることは、あらためて考えても信じがたい。read more →

  • 蓮沼執太の膨大な仕事をまとめた『windandwindows』。様々なジャンルとフィールドを横断する彼の音楽だが、それをまとめて聴いていると、まるで合気道の達人の繰り出す技を見ているような清冽な気持ちになる。read more →

  • 作家のアンソロジーをまとめることは記録たり得ても作品としての統一性を欠いているとよく言われ、だから研究者やコアなファンの外に届きづらいという側面はたしかにあるものの、この『windandwindows』の一枚のディスクを一つの作品として聴くことができないわけではない——数多あるプレイリストがそれぞれにステイトメントを提示するように、あるいは聴くことが原理的に始まりと終わりを持ち得ないように、そもそも「音楽作品」とはいかようにもまとめ上げられる概念の産物でしかない。read more →

  • あらゆる環境には常に音が偏在している。私たちはそれらの音に注意深く耳を傾けることはないかもしれないが、確かにそこに音は存在し、私たちを包み込む。かつてB・イーノが提唱した「アンビエント」とは、一般的にそのような普段は意識することのない音を意識するという聴取態度を指し示すものとして理解されている。read more →

  • 「ポップミュージックは社会の映し鏡である」という言説が今も有効ならば、「多様な価値観を認め、共に生きる」という理念が社会全体に浸透しつつある現代において、蓮沼執太がこれまで発表してきた作品は、まさに社会の映し鏡になっていると言っていいと思う。read more →

  • 蓮沼執太史上、最もメロディが光る一枚。しかも、メロディの強さは歌や言葉のあるもの以上に、原曲では坂本美雨、環ROY、あるいは蓮沼自身の声が含まれていた楽曲のインストゥルメンタルヴァージョンにおいて発揮されている。read more →

  • 蓮沼執太のインストゥルメンタル・ミュージックの土台には物語がある。この「DISC4」だけを聴いてもわかるように、彼は様々な音楽ジャンルを越境しながらインストゥルメンタル・ミュージックにトライしているが、いわゆる実験音楽に散見されるような時間の恣意性がそこには存在しない。read more →

  • BGM、という言い方がある。人が何かをする、その背景で音楽が鳴る。何かしらの行為が、営みがあり、そしてその後ろで、少し離れたところで、音楽がそちらをうかがっている。read more →

  • 広がりと奥行きのある音像。拙宅のオーディオ装置は音がぐいぐいと前に出てくるタイプで、決して空間表現に長けている方ではないが、それでも眼前に展開される音は、そっと柔らかく、滲むように広がり漂っていく。read more →